No.15(1988.11.5)p 8-9

本の周辺 5                                                                                             

カロの銅版画にみる宗教政治の惨禍

吉田八岑(図書館閲覧一課)       


画材となった三十年戦争・梗概
    ヨーロッパ諸国を流血の巷に駆りたてた最大の宗教紛争が、俗に三十年戦争(1618−48)と言われるものである。戦場と化したのはドイツだが、オーストリアおよびスペインの両ハプスブルグ家とフランスのブルボン家の対立は、オランダの独立戦争をも捲き込むと、スウェーデンの政治的野心や反皇帝派ドイツ諸侯の抗争にも拍車をかけることになった。またデンマークとスウェーデンも古い民族的な怨恨に火をつけるなど、文字通りヨーロッパ全土を政治闘争の坩禍に変えたこの惨事は、なんと生物学的一世代にもわたって続いたのである。カロは同時代人として否応なく、時代の証言者とならざるを得なかったのだ。それは無益な戦争に対する心からの怒りであり、また国土の荒廃と人心の堕落に痛烈な批判を加えることでもあった。

ジャック・カロについて
    ジャック・カロ(Jacques Callot 1592-1635)。フランスの版画家。フランス北東部ムル・デ・モゼル県ナンシーの上流市民階級(ロレーヌの貴族)出身。1608−9年頃ローマに渡り、トマッサン(Philippe Thomassin 1561-1622)およびテンペスタ(Antonio Tempesta 1555-1630)に師事、当時の版画技法を学ぶ。1611年、フィレンツェに移ると、イタリアの名門メディチ家の宮廷に仕えるが、1621年ナンシーに戻ると、故郷を拠点にブリュッセルやパリを旅し、マニエリスティックな画風で多彩な作品を残すことになった。そのエッチング技法はビュラン彫りと判別し難いほど優れたもので、宮廷の祝典をはじめ、コメディア・デラルテの人物、風俗画、宗教的モチーフの傑作を生みだしている。なかでも全十八場面で構成された『戦場の惨禍』(1633年)は、現実に戦場をみたカロ自身の原体験を、荒々しいタッチで銅版画にしたもので、その客観的歴史観は言うに及ばず、画面が問う社会批判は高く評価され、広く膾炙された作品である。

    なお、『戦争の惨禍』全十八葉は紙幅の関係で全部紹介することは無理なため、全画題を記すに留めた。

    戦争の惨禍(1633年)・大悲惨シリーズ:扉絵、軍籍登録、戦闘、掠奪、修道院の劫掠、村の掠奪と火災、乗合馬車の襲撃、農場の掠奪、悪党たちの探索、絞首刑、銃殺、車輪刑、吊り落し刑、火焙り刑、農民の復習、褒賞の分配、路傍での瀕死者、施療院。

    戦争の惨禍(1636年)・小悲惨シリーズ:路上の襲撃、僧院の略奪、村の掠奪と火事、農民の復讐。

    参考文献:『世界版画大系 3』筑摩書房1973年 請求記号 チ4・5198(3)


        挿画説明

                                                                                                               

『農場の掠奪』

戦場と化した町や村では、敵であろうが味方であろうが飢えた兵士の略奪を逃れることはできなかった。この図は豪農が略奪の惨事に見舞われたものであるが、食糧はもとより、金目のものが隠されていると疑われれば、持主は情容赦なく拷問にかけられ、女性たちも凌辱の悲劇に捲き込まれていった。



『絞首刑』

部下の兵士たちの残虐行為に歯止めを掛けるために、傭兵隊長は時折このような処刑を行って見せた。当時、兵士たちは戦場での略奪行為を公然と黙認されいていたが、度を越せば軍隊そのものが盗賊の集団と化してしまう恐れがあったからだ。しかし表向きの名目はどうであれ、盗品を少数の上官だけで分けられる利点のためでもあった。…処刑台に転用された大樹の左下では、まさに有罪の宣告を受けた一人の兵士が、牧師の前にひざまずき赦免を乞うているかと思えば、その反対側では改心の情など片鱗も見せず、次は誰が吊るされるかを、太鼓の上に骰子を投げて決めている。怖るべき精神の荒廃を示す一図である。




『施療院』

戦場に狩り出された若者たちの成れの果ては、見るも無惨なものだった。命を取り留めた者といえども五体満足な者は少なく、多くは路傍で餓死か凍死の運命に見舞われた。あるいは、ごく少数の者が、せいぜい施療院の門を潜る幸運を掴んだに過ぎない。





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