日本を歩く- いにしえの旅人たち -
WEB展覧会No.40


2003年4月24から5月30日まで早稲田大学総合学術情報センター2階展示室で開催された『日本を歩く〜いにしえの旅人たち〜』展の中から数点ピックアップしまして、ここに公開いたします。地図類は現物の一部を拡大して掲載しておりますので全体像ではありません。


1.大日本国図 (拾芥抄 第23 本朝国郡部)
寛永19年(1642) 1冊 イ3 1761(4)
 『拾芥抄(しゅうがいしょう)』は鎌倉時代から室町時代にかけて成立した百科辞書。南北朝期の公卿、洞院公賢(とういんきんかた)の撰とされる。本図はそこに収められたもので、楕円を組み合わせたような簡略な描画は、もっとも古い形式の日本図であり、奈良時代、全国を行脚したとの伝承のある行基(668-749)にちなみ、「行基図」と称される。

 
2.大日本天文測量分間絵図(だいにほんてんもんそくりょうぶんけんえず)
伊能忠敬製 寛政12年(1800)・享和元年(1801) 2舗 ル11 874
(左)伊豆沿岸・本州東海岸  (右)蝦夷地南岸・奥州街道
 江戸中期に伊能忠敬の測量によって作られた日本地図で、一般に「伊能図」と呼ばれている。本図は寛政12年(1800)の蝦夷地南岸・奥州街道測量、および翌享和元年(1801)の伊豆沿岸・本州東海岸測量によって作成されたもの。沿岸線だけでなく山や宿場町などが記され、その間を赤い線で結んで距離を書き加えてあり、伊能図の中でも「中図」と呼ばれる種類のもので、曲尺6分をもって1里として作成されている。


■江戸図■
世界随一の百万都市であった江戸の町並を描いた地図や絵図を総称して江戸図という。基本的には江戸城を中心に、道筋、町名、河川名、大名屋敷などを記載しており、数紙を貼り継いだ大判のものが多い。江戸には全国から人々が集中するため需要は多く、また、明暦の大火に代表されるように火災による町並みの変化もたびたびあったため、数次の改訂を加えながら、江戸時代を通して出版された。

3.江戸図
鱗形屋加兵衛版 寛文6年(1666) 1舗 ル11 1311
 数多く出版された江戸図の中でも初期のもの。振袖火事として有名な明暦の大火(1657年)から9年後の江戸の町の様子を伝える貴重な絵図。


4.江戸宝鑑図大全
温精軒図 元禄6年(1693) 1舗 ル11 1193


5.江戸切絵図築地八丁堀日本橋南
  影山致恭編 尾張屋清七版 安政4年(1857) 1舗 ル11 580(4)
 江戸図は江戸の町全体をカバーしており概観を把握するには都合がよいが、判型が大きすぎ実用性に欠ける面もある。そのため、必要な地域を手軽に広げられる大きさに区分けして出版したものが切絵図である。このように江戸時代の地図も今日と同様、その目的に従って各種製作されていた。

 
6.道中膝栗毛
十返舎一九作 享和2年−文化6年(1802-1809)
西村屋与八他版 18冊 ヘ13 3123
 弥次喜多道中でお馴染みの滑稽本。弥次郎兵衛、喜多八の二人が、伊勢参宮から上方見物のために東海道を上ってゆく物語。途中、様々な失敗を繰り返すが、そのたびに狂歌を詠んだり洒落のめすなどして旅を続けてゆく。読者の圧倒的な支持を受け、作者の十返舎一九(1765-1831)も金比羅参詣や木曾道中などの続編を著し、さらには明治に至るまで多くの模倣作が刊行された。


7.江戸長崎道中図巻 1巻 ル11 1160
 江戸から京を経て長崎に至る道中を、各宿駅間の里程や周辺の様子とともに描いたもの。実用性と芸術性を兼ね備えた表現は興趣のある仕上がりとなっている。

早稲田大学中央図書館
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