幕末・明治の世相と諷刺

第2部第2章
文明開化商売事情(後編)

西洋チヤリ子大曲馬ノ図

　明治の広告 -- 吟香と宝丹

　明治維新によってわが国の市民生活・文化が一変したように、広告のあり方もまた一変した。明治一六年、『時事新報』紙上で福沢諭吉が指摘したように、いまや有名な文人に凝った文章で引札を書いてもらい、顧客一軒一軒に配るという迂遠な方法よりも、マス・コミュニケーションである新聞の威力を利用したほうが効果が絶大であるということに、商人たちが徐々に気づいていったからである。

西洋料理開店引札

西洋料理

西洋茶漬開店の告條

　明治に入っての新聞の発達はめざましいものがあったが、つねに資金繰りに苦しんでいた諸新聞にとり、広告はしだいに必要不可欠なものとなった。こうして互いの利害が一致して、世は新聞広告の時代となる。その先端を行った先覚者として、売薬「宝丹」の守田治兵衛と、「精錡水」の岸田吟香の名を逸することはできないだろう。

むすめ印のビスケット

函館五稜郭氷

ビール会

　吟香は一流の知識人であり、なにより幕末に早くも『海外新聞』や『横浜新報もしほ草』の編集刊行にかかわり、のちに入社した『東京日日』では台湾征伐に際し、自ら発案してわが国最初の従軍記者となったほどの新聞人であった。新聞の威力をだれよりも知り、つねに時代の先を読むことのできた吟香は、銀座に設けた自分の薬店「楽善堂」と、主要商品である目薬「精錡水」の宣伝のため、新聞広告を最大限に利用した。　卓越したアイデアマンであった吟香は、本邦初の二頁見開き広告をはじめ、人の意表をつく広告を新聞に載せ続け、「広告王」の名をほしいままにしたのである。

煙草広告

滋養香杜竄葡萄酒

呉服譜太物類売出シ広告

　幕末、安政の「コロリ」(コレラ)流行の際、妙薬「宝丹」をひっさげて登場した守田治兵衛は、天成の広告人であった。彼は、吟香の方法に倣って、宝丹を服用して業病から脱した経験者の投書（ほとんどは創作とおぼしい）を種々の新聞・雑誌に掲載し、全国津々浦々に宝丹の名を知らしめた。彼は上野池之端の庄屋で、肩下りの曲りくねった独特の書で知られ、宝丹の看板・引札はもとよりのこと、それ以外にも需めに応じて、待合や料理屋、菓子屋その他の引札や看板を書いている。しかしそれらは独特の書体のため、だれが見ても宝丹筆とすぐわかり、結果として宝升の宣伝になるのであった。

三井呉服店陳列場の図

喜世留問屋

摺附売捌所

　吟香・宝丹の新聞広告や引札は、前代の江戸期の文人たちのような遊びの精神の所産ではなく、無名の大衆の中に潜在する需要と購買力を引き出そうとする、きわめて冷静な計算にもとづいたものでもあった。

和漢墨硯

新撰数学五千題

蚕業器機販売広告

　しかし吟香は、眼薬「精鋳水」でもうけた金を、わが国初の盲人のための施設「訓盲院」の設立など公益慈善事業に惜しげもなくつぎこんだ人でもあった。若き日に吟香が出会った宣教師ヘボンの感化ともいわれる。ともあれ、あくどい広告宣伝をくりかえして金をもうけても、けっして金の亡者にはならなかった明治人の典型が、吟香でありそして宝丹だったといえる。けれども資本主義の苛酷な論理は、彼らのような経営者の存在を長くは許さなかった。世上名高い岩谷と村井のタバコ宣伝合戦がくり広げられる明治の後半には、吟香も宝丹も、歴史の舞台から去って行ったのである。

紙腔琴広告	書物錦絵問屋	ばくれつ新聞広告
禁酒雑誌広告	早取写真広告	幻像器
[活版印刷業]広告	曲芸・曲馬団興行口上	幻燈広告

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