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天保12年(1841)正月、土佐国中ノ浜の漁船が暴風に見まわれ太平洋上を漂流、鳥島に漂着した。乗っていたのは万次郎のほか伝蔵ら4名。半年後、アメリカの捕鯨船に救助され、ハワイに至る。そこで万次郎は他の乗員と別れアメリカ本土に渡り、小学校教育を受けた。水夫、鉱夫などとして働いた後、ハワイに戻り伝蔵らとともに帰国を準備、嘉永3年(1850)アメリカ船で沖縄へ、さらに鹿児島に帰国。嘉永5年(1852)6月、土佐藩に引き渡され帰郷。 中浜の姓をうけ、坂本竜馬ら藩士に英学を教授、ペリー来航後は幕府に召され軍艦操練所教授方、咸臨丸通弁主任などの任につき、明治政府にあっても開成学校中博士として出仕した。 |
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