漂流 -- 異界を見た人たち -- 早稲田大学図書館企画展 [目次に戻る]
 
 
浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)アメリカへ
 
(1850年)
 

 嘉永3年(1850)10月、彦蔵(彦太郎)らを乗せた摂津の樽廻船栄力丸が、江戸からの帰帆途中大風に遭遇し漂流、同年12月清国からアメリカに向かう船に救助される。17名の漂流者は嘉永5年、帰国の途につきマカオに至る。インド洋経由で日本へ向かうペリー艦隊を待つ間に、彦蔵はアメリカに戻るよう誘われ、治作、亀蔵と共に再びアメリカへ旅立った。途中病死した2人の他はマカオに残り帰国の時期をはかったが、結果的に鎖国という国禁を犯した彼らを日本が受け入れてくれるか不安を覚えていた。結局、1人がペリーとともに、11名は他の中国船で帰国した。アメリカで教育を受けた彦蔵は、さらにはカトリックに入信(洗礼名・ジョセフ)、ついには帰化する。安政6年(1859)神奈川領事館通訳として帰国。通訳官のかたわら貿易商を営む。そして元治元年(1864)、わが国最初の日本語新聞である「海外新聞」を刊行した。


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No.32 漂流記
請求記号:ル2 3337
浜田彦蔵撰 文久3年(1863)序刊 2冊
 浜田彦蔵が帰国後著した漂流の記録。出帆から救助、アメリカでの生活に至るまでの自らの体験を日を追って図入りで詳細に記している。


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No.33 長瀬村利七漂流談
請求記号:ル2 1070
奥多昌忠撰 安政5年(1858)12月写 1冊
 彦蔵とわかれ帰国したうちの一人、伯耆国長瀬村の利七の話をまとめたもの。漂流記<32>が彦蔵個人の体験談に主眼がおかれているのに対し、栄力丸の漂流事件の全容がわかるものとなっている。マカオ滞留中に見聞したこと、他の日本人漂流民との出会いや、帰国への思いとその不安が詳細に述べられている。


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No.34 海外新聞
請求記号:文庫10 7269
浜田彦蔵編 元治元年(1864)刊 1冊
 浜田彦蔵が横浜で外国新聞を翻訳、岸田吟香らの協力をえて発行したわが国最初の日本語新聞。


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