顕微鏡付プレパラート4枚
早稲田大学図書館所蔵貴重資料
請求記号:文庫 8-C 1425


顕微鏡画像1
■顕微鏡とプレパラート
顕微鏡画像2
レンズ部分

伝宇田川榕庵使用 真鍮製 

高さ22cm 鏡筒13cm 台紫壇製

 シーボルトが日本の洋学者・宇田川榕庵(ウダガワヨウアン)に贈ったと推定される「顕微鏡」。 シーボルトは長崎出島のオランダ商館付医官として1823(文政6)年に来日し、1826(文政9)年、当時の商館長・デ・ステュルレル(J.W.de Sturler)に随行して江戸にのぼる。榕庵と対面したのは江戸滞在中のことである。
 榕庵は日本における近代化学・植物学の祖ともいわれる蘭学者で、シーボルトも彼の語学力と科学知識の豊富さには驚いている。別れるにあたって榕庵はシーボルトに日本の植物葉多数を贈り、シーボルトからは植物学の原書と顕微鏡一台を贈られたという。本学所蔵の顕微鏡はこの時に贈られたものではないかと推定される。
 この顕微鏡は組立式で、その構造は現代の顕微鏡とほとんど変わらない。また、付随して残されている四枚のプレパラートには、ハゼやムクなどの植物切片が角や亀甲製の枠と透明な雲母で封じ込めてある。

プレパラート拡大図
プレパラート部分の拡大図


シーボルト〉Siebold, Philipp Franz von、1796〜1866。ドイツの医者。1823年に来日後、長崎の鳴滝で西洋医学および一般科学を教える一方、門下生らの協力を得て日本研究を進めた。1828年の帰国に際し、日本地図などの輸出禁制の品目があったため国外追放となり、交流のあった多くの洋学者が弾圧を受けた(シーボルト事件)。帰国後は収集した資料の整理と著作に専心、『日本』『日本植物誌』『日本動物誌』などをまとめた。

宇田川榕庵〉1798〜1846。江戸後期の洋学者。美濃大垣藩医の子で14歳で宇田川玄真(1768〜1834)の養子となる。漢方・本草の学習の後、オランダ語を学び本格的に洋学研究に進んだ。西洋の薬物学から植物学・化学に至る広範囲の分野に通じ、優れた翻訳力・著述力を発揮、『舍密開宗』『植学啓原』など多くの業績を残した。

*このページは、早稲田大学学生部発行「早稲田ウィークリー」所収「早稲田の貴重書」に若干修正を加えたものです。

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