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21 与謝野鉄幹書簡
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本間久雄宛 大正14年(1925)4月6日 1巻 文庫14 C38 |
[解説]
大正14年、文部省が「かなづかい」表記の改定案を出したとき、雑誌「早稲田文学」はこの問題を特集した。その寄稿者の一人で文部省案に大反対であった与謝野鉄幹(1873-1935)が、編集主任の本間久雄にあてて送った手紙。便宜主義的、場当たり的な文部省案に対する怒りと母国語の伝統への鉄幹の強い愛着を示す手紙である。
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[原文 ]
啓上
春のまざかりとなりました。/御清健を賀上ます。
さて、只今、外出して帰宅し/ました処、「早稲田文学」よ/り稿料お遣し下され、ま/ことに意外に存じ、忝く存/じます。あのやうなる御答/につきて、御礼を頂くべき/でないと存じますが、定めて/大兄の御芳情に由る事と/想像し、難有く拝受致/します。久しく文筆に/遠ざかつてゐるため、之が/この十年間に、小生の貰ひ/受けました稿料の第三号/です。(一度ハ三田文学、一度/ハ中央公論)不思議なる収/入として大に喜ぶ次第です。
文部省の新仮字法に御反対/され、味方を得たることを/嬉しくおもひます。昨日も/名古屋から木下杢太郎君/が上京せられ、お目に懸りました/節、談ハあの問題に及び/て、国語擁護会とでも申す/ものを同志の人々で興し/たいと申され、小生も同感/を表しました。出来ること/なら、具体化したきものと存じ/ます。あのやうな乱暴な改革/運動が、猶、この後も台/頭致すであらうと想像/すると、少数の者が、それに/反抗して、正しき道を/守る運動が必要であらう/と考へます。
草々拝具
与謝野寛/四月六日夕/本間先生 御もとに
(封筒表)雑司ヶ谷町一四四 本間久雄様
(封筒裏)東京市麹町区富士見町五丁目九番地与謝野方/「明星」編集所 与謝野寛
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