早稲田大学図書館所蔵貴重資料

荻野研究室収集文書
請求記号: 文庫12-87, 142
豊臣秀吉刀狩令

豊臣秀吉刀狩令

1588(天正16)年7月8日。1巻、47.0×132.1cm。
豊臣秀吉海賊法度

豊臣秀吉海賊法度

1588(天正16)年7月。1軸、46.0×65.0cm。
本学図書館に収蔵されている貴重書の中に『荻野研究室収集文書』がある。これは、古文書学の大家にして、 本学文学部で長く教鞭をとられ、図書館長なども歴任された故荻野三七彦名誉教授が在職中に収集されたコレクションである。 自らの研究と学生たちの教育のために集められた古文書の中には、「尾張国郡司百姓等解文」や、 以前このコーナーでもふれた「近江国香庄文書」といった重要文化財を含む、数多くの研究史上貴重な史料が収められている。

今回はその中から豊臣秀吉(1537-98)ゆかりの文書を2点紹介する。『豊臣秀吉刀狩令』と『豊臣秀吉海賊法度』、 いずれも大ぶりの大高檀紙を用いた堂々とした朱印状である。

1582(天正10)年の本能寺の変で織田信長が仆れた後、幾度かの戦いを経て、その後継者の地位を勝ち取った豊臣秀吉は、 全国統一へ向けてさまざまな法令を発した。その一環として、1588(天正16)年7月に出されたのが「刀狩令」と「海賊法度」である。 これらの法令は当時各大名にあてて発せられたもので、この2点の文書についても、『小早川家文書』などにほぼ同文のものがのこっている。

刀狩は農民の武装解除を目的としたもので、太閤検地と並ぶ秀吉の農村政策の柱である。 方広寺大仏造営の釘・かすがいに使用するためと言う名目で農民から武器を奪うことで、一揆を未然に防止し、 兵農分離が確実にすすめられていった。年貢収入を財政の基盤とし、その担い手としての農民を固定化する政策は、 続く徳川政権へも継承され、幕藩体制を支えてゆくことになる。

もう一点の「海賊法度」は、この法令を出すことで海を生活の基盤とする人々を把握・統制しようとしたものである。 また、これによって海上の安全確保や、西国を中心とした海上交通の掌握も可能となり、 西国諸大名の財源となっていた海外貿易をも自らの手中に収めようとしたものであった。

* このページは、早稲田大学学生部発行「早稲田ウィークリー」所収「早稲田の貴重書」に若干修正を加えたものです。
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First drafted Febrary 18, 1998
Last revised November 25, 2005