早稲田大学図書館所蔵貴重資料
大日本天文測量分間絵図
伊能忠敬製/請求記号: ル11-874
大日本天文測量分間絵図
伊能忠敬製。寛政12(1800)年・享和元(1801)年。2舗(217×126cm、258×163cm)。
江戸中期に
伊能忠敬の測量によって作られた日本地図である。
本学の所蔵資料は、1800(寛政12)年の蝦夷地南岸・奥州街道測量、および翌1801(享和元)年の伊豆沿岸・本州東海岸測量によって作成された地図で、沿岸線だけでなく山や宿場町などが記され、その間を赤い線で結んで距離を書き加えてある。忠敬はこの1800年の測量を皮切りに、その後17年に渡り日本全国の沿岸測量を実施した。その間、測量がすみ次第地図を作成し、幕府に上呈した。
全国の測量を終えると、忠敬はそれに基づく製図を開始、彼の没後の1821(文政4)年、『大日本沿海輿地全図』(伊能図)として完成した。しかし、伊能図の多くはその後火災などにより失われ、今日まで伝存しているものは少ない。
ちなみに「分間絵図」というのは、一般には「測量によって作られた絵図」あるいは「縮尺を考慮して作られた絵図」をいうが、本来は「縮尺を1分1間(600分の1)にして作成した絵図」を指す。本図は曲尺六分をもって一里として作成されている。
ところで忠敬は地理学者・測量家として有名であるが、彼が本格的に研究を始めたのは隠居後の51才のときからである。それ以前は家業である造酒業や米取引に才を発揮し、名主としても公益につくし、特に利根川の洪水や浅間山噴火による天明の大飢饉に際しては、私財を投じて貧民救済に力を注いだという。よく「学問を始めるのに遅いということはない」と言うが、まさにそれを実行した人生といえよう。
伊能忠敬
1745〜1818、江戸時代中期の測量家。隠居後、1795年に19歳年下の暦学者・高橋至時に入門し、西洋天文学などを学ぶ。伊能図の他にも、『求割円八線法』や『地球測遠術問答』など算術・測量の著がある。
* このページは、早稲田大学学生部発行「早稲田ウィークリー」所収「早稲田の貴重書」に若干修正を加えたものです。
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First drafted Febrary 18, 1998
Last revised November 25, 2005