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売薬引札 河村古僊 四日市・光玉堂 51×34cm |
ごあいさつ 千葉県鴨川市長 本多 利夫今、千葉県は、首都圏の東側にあって、大きく変貌を遂げようとしております。
懸案の東京湾横断道路(東京湾アクアライン)も、本年12月18日に開通の運びとなり、半島性からの脱却に期待が寄せられ、時間距離もその短縮に向け飛躍的な向上を見ようとしております。
この様な中にあって、本市は都市づくりの方向を、「豊かさを実感できる快適な環境リゾート都市」として定めまして、各種の整備に着手したところでもあり、中でも太海地区の多目的公益用地開発は、その受け皿づくりを推進する最大の基盤整備として約40ヘクタールの造成を行っており平成11年3月の完成をめざしております。この地域には、平成9年2月に早稲田大学と同意いたしました教育研究施設事業の一環として、南地域コンベンションホールとも連携が図られる通年型セミナーハウスの建設を当面の目途としており、市民の大きな期待が寄せられているところでもあります。
これまでのまちづくりは、やゝもすると施設設備といったハード面だけの整備に片寄りがちでありましたが、これからは、ソフト施設の展開がより重要であるものと思慮致しており、本市と早稲田大学との交流事業を推進することは、不可欠なものと認識しているばかりではなく、大学の持つ知的文化性と地域が融合された、新たな価値観の創出があるものと期待しておるところであります。
その第一歩として企画された「江戸・明治の広告展」は、日本でも数少ない貴重な大学所蔵品の地方への出展と伺っており、これが鴨川の地で開催されることは、まさに、時宣をえたものであり早稲田大学と地域の絆の深まりを示す根幹であるものと思っております。
大学の持つ知的文化の一端にふれていただき、本市と早稲田大学との交流が、益々発展することを念願するものであります。
開催にあたって 早稲田大学総長 奥島 孝康鴨川市と早稲田大学とはこのたび、太海多目的公益用地に関して基本的な合意を得て、協力・交流の関係を持つこととなりました。時あたかも二十一世紀に向けて、風光明媚な鴨川市と未来をともにすることができることは、大学にとっても私にとっても、たいへんよろこばしいことであります。
早稲田大学はご承知のごとく、明治十五年、前年の「明治十四年の政変」で筆頭参議の座を追われ、下野した大隈重信が創立した私立の学校であります。爾来百十余年を閲してまいりましたが、その間一貫して「学問の独立」を標榜し、「進取の気性」を養うことに努めてきました。これは、創立者大隈さん、小野梓先生をはじめとして、歴代総長以下教職員・学生が受け継いできた学統であるともいえますが、あらたな世紀へと向かいつつある現在、私どもは建学の精神を受け継ぎ、発展させつつ、さらに広い世界、遠い未来へと向かって、たゆむことのない前進を続けねばなりません。
すでに国際化・情報化の時代といわれて久しく、学問研究のあり方も多様化し、大学そのものの存立意義すら厳しく問われています。こうした中で早稲田大学としては、いままで蓄積してきた知的資産、あるいは、いま生産されつつある知的成果を、情報の形で外部に向けて発信し、地域社会とつながり、また、ひろく世界と結びあおうといたしております。
その試みのささやかな一環として、本学図書館が所蔵する古い資料、比較的めずらしい資料「西垣文庫」を、鴨川市立図書館の一隅をお借りして展示し、市民のみなさんにご覧いただくことになりました。当該資料は、十年前、「幕末・明治のメディア展」と銘打ち幸いにして好評をいただいた展覧会の一部です。ごゆっくりご鑑賞下さい。
なおこの場を借りて、鴨川市と早稲田大学の相互協力の実現に向け、たいへん温かく熱意のこもったご尽力を賜りました本多利夫鴨川市長、ならびに市民のみなさまに満腔の謝意を捧げます。