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古代連歌九百韻 1冊 宗祇ほか 吟
室町時代
文庫31 E0214

室町時代の連歌作者で理論家、指導者としても知られる宗祇(1421-1502)による独吟や、多人数で詠み連ねたものなど9種の百韻を収めた連歌集。「百韻」とは、発句(最初の句)から挙句(最後の句)まで長句(五七五)と短句(七七)が交互に100句連なる形式のこと。

宗祇書状 肖柏宛 1軸
明応4(1495)年6月7日付
ヌ06 09315

宗祇が牡丹花肖柏(夢庵、1443-1527)に宛てた書簡。6行目の「新撰菟玖」は、この頃宗祇が中心となり編纂を進めていた連歌の准勅撰集『新撰菟玖波集』のことで、編集にあたって宗祇を支え協力していた高弟・肖柏に対し、題号の決定や、編纂の経過などを伝えている。

新撰犬筑波集 1冊 宗鑑 編
寛永年間刊
文庫31 A0001

連歌師山崎宗鑑(生没年不詳)編の俳諧撰集。室町時代後期に成立。滑稽で自由な表現が多くみられ、俳諧が連歌から独立する契機となった著とされる。慶長〜寛永頃に古活字本や本書のような整版本が出されるようになり、宗祇編の連歌撰集『新撰菟玖波集』に対応して『新撰犬菟玖波集』という書名が定着した。

宗鑑書「竹院君閑消永日」ほか
(『和漢朗詠集』のうち) 1軸

室町時代
文庫31 D0001

寛弘8〜9年(1011〜2)頃に成立したとされる藤原公任撰『和漢朗詠集』のうち、白居易の漢詩と壬生忠岑の和歌を宗鑑が揮毫したもの。彼の独特の筆跡、自由な筆運びを「宗鑑流」と呼ぶ。

貞徳書簡 □月太兵衛宛 1軸
江戸初期
チ06 04100

松永貞徳(1571-1653)は江戸初期の歌人。貞門俳諧の祖となり、全国に俳諧を広めた。貞徳は寛永11年(1634)、64歳の折に自ら生まれ変わったとして年齢を1歳から数えるようになり、号も「延陀丸」「長頭丸」に改めた。本資料は、使われている号から寛永11年以降の書簡と推測される。

立圃肖像並賛「かくとたに」 1軸
生白 画 立圃 賛

江戸初期
文庫31 D0153

野々口立圃(1595-1669)は貞徳門の俳諧師。絵画をよくし俳画の祖とされる。晩年の立圃を息子の生白(鏡山)が描き、立圃自ら賛を添えた父子合作の画幅。
 是は我像なりとて愚息生白か
 かきてみせたり おかしさのあまりに
  かくとたにえやハ祝いのいきみ玉 立圃

花林園記 1軸 季吟 書
延宝9(1681)
文庫31 D0025

北村季吟(1624-1705)が花林園を訪れ、延宝9年4月16日にかきつけたものである。花林園とは、京都の俳諧師三井秋風が鳴滝に構えた別墅の名称で、芭蕉など多くの文化人が出入りし、交流の場となっていた。季吟、秋風をはじめとした俳人同士の交流や花林園の様子を伝える重要な資料。

狗[コ]集 5冊 重頼 編
大炊道塲存故 寛永10(1633)序 初版本
ヘ05 06039

俳諧を貞徳に学んだ松江重頼(1602-1680)が編纂した俳諧撰集。『犬子集』とも。初版完揃本。判型は連歌の撰集を模した大本。俳諧が限られた地域や人々の間で行われていた江戸時代最初期に出版され、この後、様々な俳諧撰集や、異本、流布本が相次いで出版された。

狗[コ]集 5冊 重頼 編
文庫31 A0002
寛永期刊

『狗[コ]集』を横本として再版した普及版。鮮やかな丹表紙は寛永期の版本にみられる特徴である。匡郭(本文を囲む枠)が有るものと無いものが存在するが、本資料は無匡郭本。

古俳諧三百韻 1巻
江戸初期
文庫18 00927

貞徳門下の俳人たちによる百韻3巻を収めたもの。玄札らの九吟百韻「薬師鏡餅破玄札興行」(正月十二日)、重頼らの五吟百韻「賦何琴誹諧」、および梅盛独吟百韻「父みまかりて後追善」。

宗因句色紙「声もかな」 1軸 梅翁 書
江戸初期
文庫31 D0013

宗因(梅翁、1605-1682)が訪れた土地で詠んだ発句を書きとめた色紙は数点現存しており、本資料はそのうちの1枚である。金泥で描かれた下絵も美麗。
 紅葉に鹿をかきたる絵をみて
  声もがなしからばすなはち立田山 

西鶴書簡 うちや孫四宛 1軸
元禄5(1692) 年3月4日
ヌ06 08491

浮世草子作者としても知られる俳人井原西鶴(1642-1693)の書簡。宛名の「うちや孫四」については不詳だが、俳諧の心得を述べながら、二万三千五百句独吟の矢数俳諧興業(貞享元年6月)や当時目を病んでいたことなどにも触れている。自作の発句「桜影かなし世の風美女か幽霊か」を添える。