Okuma Shigenobu Collection

大隈重信年譜

年号 西暦 年齢 大隈の生涯 日本の動き
天保 9 1838 1 2月16日 佐賀で生誕 父信保 母三井子 幼名八太郎  
安政 元 1854 17 義祭同盟に加入 日米和親条約締結
3 1856 19 蘭学寮に入舎 枝吉神陽に国学を学ぶ  
文久 元 1861 24 米人フルベッキに英学を学ぶ  
慶応 元 1865 28 長崎に英学塾「致遠館」を設立 (肥州長崎図) 第二次長州戦争
3 1867 30 副島種臣とともに脱藩、上京。イギリス艦で江戸に赴く 大政奉還
明治 元 1868 31 3月、明治政府に出仕、徴士参与・外国事務局判事となる
閏4月 浦上信徒事件の処理をめぐり英公使パークスと論争(対英外交文書)
戊辰戦争
五ケ条の御誓文
2 1869 32 三枝綾子と結婚、築地に転居(築地梁山泊)
大蔵大輔となり鉄道敷設・財政改革を推進
版籍奉還
箱館戦争 
3 1870 33 9月 新政府参議となる。 「全国一致之論議」提出。  
5 1872 35 博覧会事務局総裁となる(博覧会・共進会) 鉄道開通 太陽暦採用 
6 1873 36 参議兼大蔵卿となる 征韓論で西郷ら下野 
7 1874 37 台湾蕃地事務局長官を兼務 民撰議院建白 佐賀の乱 江藤捕縛之図 
10 1877 40 西南戦争征討費総理事務局長官を兼務  
11 1878 41 地租改正事務局総裁を兼務 大久保暗殺 竹橋事件  
14 1881 44 3月 国会開設意見書提出
7月 天皇の東北巡幸に供奉
10月 参議辞任 下野(明治十四年の政変)
開拓使官有物払下事件
国会開設の勅諭
福島事件 
15 1882 45 3月 立憲改進党を結成 総理(党首)となる(「改進党宣言」,「施政ノ要義」)
10月 東京専門学校を創設
 
20 1887 50 伯爵に叙せられる  
21 1888 51 伊藤内閣・黒田内閣の外務大臣に就任 条約改正交渉にあたる  
22 1889 52 10月 玄洋社員来島恒喜の投じた爆弾により負傷、右脚切断。
12月 外相辞任
大日本帝国憲法発布 
27 1894 57   日清戦争(〜1895) 
29 1896 59 松方内閣に外務大臣として入閣(松隈内閣)  
31 1898 61 6月 わが国初の政党内閣を組織 首相となる(隈板内閣)  
35 1902 65 東京専門学校を早稲田大学と改称  
37 1904 67   日露戦争(〜1905) 
40 1907 70 政界引退 早稲田大学総長に就任  
41 1908 71 大日本文明協会設立(大日本文明協会刊行書)  
43 1910 73 白瀬南極探検隊後援会長に就任(白瀬矗書簡) 大逆事件 韓国併合 
大正 3 1914 77 4月 政界に復帰 第二次大隈内閣組閣 首相となる 第一次世界大戦 
4 1915 78 対華21か条要求 内閣改造  
5 1916 79 侯爵となる 10月 内閣総辞職  
11 1922 85 1月10日 逝去 日比谷で国民葬 護国寺に埋葬