11載書 大槻磐水門人姓名簿 文庫8 A228
寛政元-文政9(1789-1826) 原本 重要文化財 1巻

大槻玄沢の門人帳。38年間にわたる入門者94名の姓名が録されている。玄沢は私塾芝蘭堂において、四天王といわれた橋本宗吉、稲村三伯、宇田川玄真、山村才助らを育てた。「載書」とは誓約書の意。

12重訂解体新書 10巻(巻1欠)並図編 文庫8 A28
大槻玄沢自筆 重要文化財 9冊 図編1冊

杉田玄白が安永3年(1775)に刊行した『解体新書』の翻訳改訂は、弟子の大槻玄沢に委ねられた。稿を改めること三回、寛政10年(1798)完成。銅版版下の下絵は桂川国瑞門下の南小柿寧一による。本書は玄沢の稿本で、刊行されたのは文政9年(1838)のことであった。

13西説内科撰要 巻六至一○ 文庫8 B17
宇田川玄随訳 自筆 1冊

オランダのヨハネス・デ・ゴルテルの著『簡明内科書』 を翻訳したもの。わが国初の西洋内科書として寛政5年(1793)から文化7年(1810)にわたって出版され、当時の内科医に画期的な影響を与えた。本書はその自筆稿本。

14羅仙治児全書 文庫8 B25
宇田川玄真訳 自筆 7冊

わが国最初の西洋小児科書。原著者はスウェーデンのローゼンスタインで、そのオランダ語版からの翻訳、宇田川玄真(1769−1834)の自筆稿本。玄真は宇田川玄随のあとをつぎ、養子榕庵らと数々の翻訳に従事した。

15芝蘭堂新元会図 文庫8 A224
市川岳山画 諸家賛 重要文化財 1軸

大槻玄沢の私塾「芝蘭堂」に集まって、わが国で最初の西暦による新年を祝った蘭学者たちを描いたもの。いわゆる「おらんだ正月」の図である。時は寛政6年閏11月11日、西暦1795年元日のことであった。

16蘭学者見立番付 三種 イ5 1646(1)(10)
寛政5至10(1793-98) 写本 3枚

寛政年間の蘭学者の見立番付で、芝蘭堂の新元会の余興に作られたものか。百余名の名を芝居の紋番付「都にない」、狂言「近来繁栄蘭学曽我」「名流桂川水」「浮事吾妻風」と相撲番付に仕立ててある。津山藩主松平斉民ののこした『芸海余波』という貼込帖にある。

17惜字帖 文庫8 J53
森島中良蒐集貼込帖 文化元(1804)装丁 2冊

森島中良(1754-1810)は桂川国瑞の弟で、蘭学者としてのみならず、森羅万象、二世風来山人などの号をもつ戯作者としても名高い。長崎に舶載された珍しい品物の広告や商標、蘭文など雑多なものが貼り込まれている。

18石川大浪天童図 文庫8 B141(5)
石川大浪画 原本 1枚

「杉田玄白肖像」を描いた石川大浪(1765-1817)の珍しい小品。石川は大番組頭をつとめた幕臣で、はじめ狩野派に学び、のちに西洋画法を学んだ。署名のTafel Bergは彼の名「大浪」のオランダ名であるという。

19司馬江漢富嶽図     文庫8 B147
司馬江漢画 寛政元(1789)8月 紙本彩色 1額

静岡県清水市にある峠からみた富士山の図。司馬江漢(1747-1818)は絵をよくし、浮世絵に西洋画法を取り入れ、また秋田蘭画といわれる西洋風の画法を創始した。

20春波楼天文之書草稿 二5 2337
司馬江漢撰 写-自筆 1冊

コペルニクスの地動説は、長崎通詞本木良永が安永3年(1774)にオランダの天文書を訳して初めて知られたといわれる。江漢は長崎で地動説を知った。本書は文化5年(1808)刊行される書のもととなる自筆稿本である。