コロンビア大学はさて置きまして、では、イエール大学やハワイ大学でなぜ、どのようにこういった日本語図書館が作られていったのかということです。あるいはそういった活動と角田柳作の日本語図書の収集活動がどういった形で関わっているのかということをまず話しておきたいと思います。
1920年代における日本語図書の収集を考えていくときに、アメリカ国内における、先ほど挙げましたいくつかの大学がありますが、その中での日本語図書の収集活動を追ってみると、いくつかの共通する要素が見えてきます。第1にアメリカにおける日系人コミュニティ、つまり日本人です。日系人コミュニティをはじめとして地域や民間の力が大きく作用していることが挙げられます。第2に指摘できるのが、日本国内、あるいは米国内での人的なネットワーク、人と人とのつながりが非常に大きな役割を果たしているということが挙げられます。第3にこの両者、つまり地域や民間レベルでの支援と、また日米国内での人と人とをつないでいくという2つを挙げましたが、この両者をつないでいく鍵になるような非常にアクティブな知識人の存在があります。そのように私は捉えています。
まず第1の地域、民間レベルでの支援ということですが、これは戦後、占領期から日本語図書館が米国各地に生まれてくるのが60年代、70年代で、日本語図書館がたくさんアメリカにできてきます。そういった場合に、アメリカ国内で連邦予算や大規模な財団による資金が大きく作用してきますが、それと比べると非常に対照的なわけです。民間や地域の人たちの基金や、あるいは支援、寄贈で蔵書が形作られるという点です。
第2の点ですが、今であればインターネットを通して簡単に海外から図書購入ができるわけですが、当時にあって本を買う、あるいは集めるといった作業は非常に困難なものでもありました。つまり、単純に本を買うのは別に難しい話ではありませんが、図書館を構築するためには、ある学問領域の基盤図書をまんべんなく広く集める必要が出てきます。ですから、特定の領域の専門知識を持っていたとしてもそれはできないということです。広い分野にわたる書誌的な専門知識と、また本を供給するための供給ルートについての知識も必要になってきます。したがって、いくら特定の分野に詳しい日本研究者がいても、それだけで本当に使える日本語図書館を作ることはできないということです。そこで、特に日本国内でのアカデミックな人と人とのネットワーク、つまりその人を通せばきちんとしたある学問領域のまんべんなく広く図書を集められる十分な知識を持った、あるいは図書を買うルートを持った人たちとのつながりや連絡といったものが大きな役割を果たすことになっています。これは後で話しますが、30年代になってくると状況がまた若干変わってきます。30年代になるとこのような基本的な日本語図書に関する書誌情報を提供する専門機関ができたり、あるいは専門のサービスが生まれてきたりしますので、若干これで状況が変わってくるのですが。
第3の点です。つまり日系のコミュニティや、あるいはアメリカにおけるある地域と、地域における日本、アメリカの関係機関に呼びかけて、なぜそういった日本語図書が必要なのか、どういった書籍が必要なのかという意義を訴えて協力を取りつけて、同時に日本国内における専門家たちとうまく連絡を取り合って架け橋になっていくアクティブなキーパーソンが必要になってくるということになります。