明治政府官僚時代
明治14年の政変
立憲改進党の誕生
条約改正交渉と2度の組閣
東京専門学校の創設
文化活動と交流
大隈家を訪ねる
年譜/大隈重信の生涯
立憲改進党の誕生
施政ノ要義
小野梓自筆(『東洋遺稿』のうち) 明治15年(1882)2月 1冊 イ04 00651
改進党の運動目標・施政の具体的方針を明らかにした文書。政党内閣の実現、地租の軽減、外国交際の発展等の他、「学問の独立」の観点から教育に関する一項が設けられており、小野の思想の一端を示している。
[立憲改進党]宣言(案)
小野梓自筆(『東洋遺稿』のうち) 明治15年(1882)2月 1冊 イ04 00651
小野の起草による立憲改進党「宣言」の原案。この案は大隈をはじめ河野敏鎌、矢野文雄、肥塚龍ら党幹部の意見を入れ再三にわたる校訂を経て、「立憲改進党趣意書」として公表されるに至った。
大熊及海坊主退治
明治16年(1883) 1枚 チ05 04174
自由民権運動の中核を担う大隈の立憲改進党と板垣退助率いる自由党は、その支持基盤の違いなどから次第に対立を深めていった。この図は、栃木県下の自由党壮士が、改進党総理大隈と三菱の岩崎弥太郎との関係を糾弾、2人を"大熊"と"海坊主"に見立てた巨大な紙製のハリボテを攻撃しているところ。
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条約改正交渉と2度の組閣
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