大隈重信関係資料

文化活動と交流

渋沢栄一書簡
大隈重信宛 明治40年(1907)10月2日 1巻 イ14-B175 04

『開国五十年史』の編纂には、大隈は並々ならぬ執念を燃やして取り組んだ。これは、そのうちの渋沢担当の、銀行および会社編が脱稿したことを報告した書簡である。

朝河貫一書簡
大隈重信宛 明治43年(1910) 5月 1巻 イ14-B384

朝河は明治28年東京専門学校を卒業し、エール大学で学んで教授となった世界的に有名な法制史家。これは英訳された『開国五十年史』のアメリカにおける好評を伝えるとともに、アメリカ国民の対日感情、日本が清国に対してとるべき態度について意見を述べている。

新島襄書簡
大隈重信宛 明治21年(1888)11月22日 1巻 イ14-B5 05

この年11月に「同志社大学設立の旨趣」を発表、理想の私立大学の設立のため募金運動を開始した。大隈の盟友奈良在住の北畠治房への紹介を依頼した手紙。書中にあるように新島は病をおしての活動であった。

白瀬矗書簡
大隈重信宛 明治43年(1910) 9月26日 1巻 イ14-B1844

船名(ここでは南極丸となっているが、実際には開南丸)と船主旗の決定を、南極探検隊後援会長である大隈に報じたもの。船主旗の図案は三宅雪嶺の考案に成る。