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内海孝(東京外国語大学教授):たぶん明治32年最後くらいの手紙は、ちょうど京都に赴任して直後くらいで終わっていると。そういった意味では、経済的には必ずしも自立できない柳作があったわけですが、京都以後は経済的な自立性という意味では独立的な方向に、つまり妻を娶って子どもが生まれてくるという状況の中で彼は新しい方向に歩み出していくわけですが、そういった昔のことというのは、角田先生はキーン先生たちにはお話しされたのでしょうか。 |
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ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):あまりないですね。1つだけ、どういうことで話されたか覚えていませんが、あるとき京都にいました。そして、彼は何かいい仕事をやって…当時京都に特殊部落がたくさんありましたが、そういう人たちを助けたい気持ちが非常にありました。しかし、うまくいきませんでした。ある日、下駄を履いて歩いて、泥のところで動けなくなりました。それはまったく象徴的なことで、自分は先に進みたいと思っても動けない、自分の今の仕事もそうでした。いくら働いても、努力しても、進めないという気持ち、そういう話がありました。 |
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和田敦彦(早稲田大学准教授):例えば角田柳作先生自身が、ハワイ時代も結構長かったわけですが、ハワイでの体験の話などはあまり日常的な話の中では出てこなかったということでしょうか。 |
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ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):そういう話はありませんでした。私はどうしてハワイを選びましたか、と聞いたことがありますが、その返事は大体このようでした。ハワイは太陽の国だと思っていました、と。つまり、日本人には構成が3つあるという説でしたが、水と太陽と山、その1つの太陽がハワイのところでした。確かに日本の文化には太陽に対する崇拝があります。神道で言うと天照大神、あるいは仏教でも、今日のド・バリーさんの話では角田先生は主に浄土真宗だと言いましたが、私はむしろ真言だと思います。真言の一番大切な如来は大日如来です。そういう意味もあって、確かに日本には太陽に対する愛着は非常に強いと思います。それはすべての国と同じではないのです。つまり、インドでは太陽を嫌うのです。太陽はものを殺すものです。男の人は、女性をほめる場合は、あなたは雨の日のように美しいと言うのです。そういうこともあります。 |
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内海孝(東京外国語大学教授):それに少し関連するのですが。デンバーに行ったのですが、ロッキーズが負けてしまったので話しづらいところがあるのですが、たまたま角田のコロラド時代をちょうど書き終えたところなのですが、彼はデンバー時代、割と最後の時期にデンバーはあまり好きではないと。それは川がない、大きな川がないと。僕はやはり利根川を見て育ってきたのだ、ということがあるのですが、それはいかがでしょうか。 |