「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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「角田柳作が語りかけるもの」(18)
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パネルディスカッション
内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):今のような話をキーン先生がハインリック先生に強調するようなことはありましたか。
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エミー・V・ハインリック(コロンビア大学東アジア図書館館長) エミー・V・ハインリック(コロンビア大学東アジア図書館館長):Actually, the story of haiku reminds me of another Columbia professor, who I had as an undergraduate teaching reading haiku and the core curriculum: Ivan Morris – who wrote the major book The World of the Shining Prince, and was very well-schooled in classical Japanese literature – said in a course, “if you gave five bilingual poets the same haiku to translate, you would get five different poems.” And not being able to understand that, how that could be, was one of the reasons I started studying Japanese. But I would say, as for the democratization – both haiku and tanka in modern time – serve not so much as a symbol of democracy, but as a kind of emotional tool, a spiritual tool, that almost anybody can do. Anyone can count of their fingers, and make some kind of poem, and many, many people do. I think, as an example, when Chiaki Mukai, the astronaut, was in space, and asked for the Japanese public to complete a tanka. She spoke the kaminoku, the first verse, and asked people to contribute the last verse: the Space Agency received 144,000 responses. So that there is a kind of democratization of poetry, not necessarily haiku, that I think is still visible in Japan.
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内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):今、コロンビアで文学を二分していたキーン先生とモリス先生の話が出たのですが、モリス先生は文学科の主任のときにキーン先生が日本で半年、アメリカで半年にしたいという提案をしたときに、モリスさんがサイデンステッカーさん…彼もコロンビアでキーン先生と同じく柳作先生の弟子だったわけですが、キーン先生が半年日本にいる間はサイデンステッカーさんに代役をするようにという提案をしたけれども、最終的にはモリス先生がそれをとってしまったということがあったようですが、その辺はいかがでしょうか。
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ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授) ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):私は今の話は初耳です。確かにはじめは…私は日本文学の歴史を書いていました。だんだん日本文学の歴史と1年間の授業は両立しないと思いました。つまり、教えている間は日本文学史をしようとなかなかできなかったのです。広く読まなければならない仕事でした。それで私は大学を辞めると言いました。そのときド・バリーさんは副総長でした。彼には名案がありました。1年間は無理かもしれないけど、半年はどうでしょうか、と言いました。私は喜んで半年教えると言いました。その時点でモリスさんも私のことを聞いて、同じように自分も半年教えたいと言いました。そうなりました。しかし、モリスさんが亡くなったすぐあとにサイデンステッカーを呼びました。その前にサイデンステッカーを呼ぶ話は覚えていないです。
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内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):サイデンステッカーさんが自伝でそれを書いています。
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ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授) ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):誰にも記憶の間違いはありますから。

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