「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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「角田柳作が語りかけるもの」(24)
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パネルディスカッション
鹿野政直(早稲田大学名誉教授):角田が亡くなったのは1964年11月29日ホノルルにて、ということになっていますが、先ほどの甲斐さんのお話では、お見送りに行ったけれどもうお言葉も出ないような状態だったということでした。ところが、角田柳作展という冊子の一番後ろに最晩年の詩が載っています。この詩は10月にお書きになっています。実に雄渾な筆致で、病気の影など1つも窺えないと私は思うのです。見方が間違っているかもしれませんが。そうすると、本当に急激にお弱りになったのかな、ということが1つです。

また、最後の詩の言葉ですが、帰りなん、いざ、と書いてあるわけです。それをどう解釈するかということです。先ほどのキーン先生のお話では、日本に帰ることを決意なさったということでした。私もそのようにこれを解釈していたわけですが、そうすると甲斐さんからお話がありましたように、お手紙が来ました。いや、そうではないのだ、やはりアメリカに帰ってくるのだ、と。それはどういうことかというと、角田先生はこの詩をご自分で甲斐さんのご要望に応えて英訳をしておられるのですが、その英訳の結びが、「I may return」としています。それはどういうことかというと、もうすでに詩が書かれた10月には切符を用意しておられて、つまり日本に帰ることが決定されていたのに、可能性があるmayが使われているのはやはり決定された帰国ではなくて、もう1つの旅、つまり最終的にはやはりアメリカに戻ってくるということを心に期しておられたのではないだろうか、と。これは甲斐さんの解釈です。その辺についてのキーン先生のご見解を伺いたいと思います。
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内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):ありがとうございました。キーン先生、いかがでしょうか。
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ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授) ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):私よりも内海先生のほうが詳しいでしょう。

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