「早稲田大学創立125周年記念シンポジウム:角田柳作—日米の架け橋となった“Sensei”—」開催報告
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「角田柳作が語りかけるもの」(17)
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パネルディスカッション
ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授) ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):角田先生は中国の文化と日本文学の随分違うところはそこだと言っていました。つまり、日本の川は…これは昔の話ですが、水がきれいです。自然に人が入りたい、自然に身体を洗いたくなるという文化ですが、中国のほうは川の水は黄色、あるいは茶色です。決してきれいだと思われません。川に入りたいという気持ちはないです。ということで、中国に日本にある風呂や銭湯はできなかったです。また、海に対しても同じことです。万葉集などには、海のことが比喩としてよく出ます。大船に頼るなどという言葉がありますが、中国人にとって海は大変怖いものでした。あらゆる災難の元になる、大水の元になると。そういうふうに中国と日本は違うとおっしゃっていました。それでデンバーに川がないことを不満に思われたのは当然だと思います。
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内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):そうですか。ハインリック先生、キーン先生のそういった、いろいろな角田先生の話の中に、授業を聞いていらっしゃった時代のキーン先生の姿と角田先生の姿はどうでしょうか。かなり同じような人という感じを受けるのでしょうか。
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エミー・V・ハインリック エミー・V・ハインリック(コロンビア大学東アジア図書館館長):My impression is that Keene sensei’s methods of teaching are very much like Tsunoda sensei’s in the sense of conveying a deep familiarity with a subject matter, which is why he never seemed to need notes, and of thinking why he was talking, which I think is what notes interfere with. If you have something written down you do not have to think about it, and if you do not have notes you have to think while you are talking, and I think that happens. As I said earlier, I think the other thing is a profound respect for the subject matter, and …
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内海孝(東京外国語大学教授) 内海孝(東京外国語大学教授):先ほどの俳句の話で、キーン先生が確か角田柳作は俳句はデモクラシーで、日本にもデモクラシーがある1つの証拠だと言ったと思うのですが、その辺の解釈についてキーン先生はどんな感じでいらっしゃいますか。
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ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授) ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授):今は意味がまったく違うのですが、俳句ができた頃、徳川時代は非常に大きな意味があったと思います。私は最近、去年から渡辺崋山のことを研究してきましたが、渡辺崋山は武士階級で、しかも上級武士でした。しかし、俳句となると一般の人とつきあって、一緒に俳句を作ることがありえました。そうでない場合はなかなか会えないと。俳句を通して人間は一緒になるという感じもあります。私は、角田先生はそれを指摘なさりましたが、角田先生以外に誰も最近まで話さなかったですが、最近そういう説を唱える人も現れてきました。つまり、俳句はいろいろな役目を果たしていました。1つは、どんな人でも一緒に俳句を作れる。芭蕉の弟子には泥棒もいたし、乞食もいたし、あらゆる人がいました。こうした、あらゆる弟子と対等につきあっていたことは俳句のおかげだと思います。

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