|
|
|
|
|
1931年 (昭和6) 6月、柳作はみずからが中心となって設立したThe Japanese Culture Center (いわゆる日本図書館) がコロンビア大学に移管されると、その責任者となり、同時に、同大学の日本文化講座も担当した。第二次世界大戦の時期には苦難を経験したが、彼がたねをまいた日本研究は、コロンビア大学において順調に発展をみた。
Ryūsaku began devoting himself to creation of the Japanese Culture Center (otherwise known as the Japan Library), and when its permanent location at Columbia University was established in June 1931 (Shōwa 6), he became responsible for the Center's operation. He also taught Japanese culture at the University. Although he experienced hardships during World War II, his efforts to promote the study of Japanese culture at Columbia University succeeded and steadily developed. |
|
|
|
秩父丸船上にて (昭和8年)
On the Chichibu-maru, 1933
|
北米航路に就航していた日本郵船の客船「秩父丸」の甲板で。乗り合わせたテノール歌手の藤原義江(後列中央)らと記念撮影。この時期、柳作はコロンビア大学に移管された旧日米文化センターの資料を充実させるため、日米の間を奔走していた。[星野冨士子氏蔵] |
|
|
|
|
「早稲田学報」昭和2年4,5,6月号
Waseda Gakuhō, 1927
|
柳作のアメリカにおける活躍は、母校早稲田でも注目されていた。「早稲田学報」昭和2年4月号に角田柳作帰朝歓迎会の様子が報告され、5月号で新住所が知らされた。6月号では3ぺージにわたって日米文化学会の下準備のため帰朝したこと、この会の内容、日本の大学並びに各方面への協力を訴えている。[角田修氏蔵] |
|
|
|
|
The gift from the Imperial Household of Japan, in the Japanese Collection,
Columbia University.
The Friends of the Columbia University Library, 1933.
|
コロンビア大学図書館の日本コレクションのうち、日本皇室からの寄贈資料を柳作みずからが紹介した論稿。国史、和歌集、古典文学、典礼集など資料の特徴を詳しく説明し、研究資料としての価値を記述するとともに、他からの寄贈の呼び水となったことに謝意を示している。[角田修氏蔵, コロンビア大学蔵] |
|
|
|
|
Tsunoda Ryusaku,Two tales of historic Japan.
Columbia University, 1935.
|
Columbia University Quarterly Vol. 27, No.2からの論稿抜刷。源氏物語と平家物語を対比することによって、二つの時期の歴史をより明瞭に検証することができるという論旨。[角田修氏蔵,コロンビア大学蔵] |
|
|
|
|
角田柳作書色紙「素盞男命歌 八雲多津」
Calligraphy by Ryūsaku
|
最初の和歌ともいわれる歌。『古事記』『日本書紀』に収載。日本神話のうち最も有名な物語のひとつ、スサノオのヤマタノオロチ退治の場面に登場する。記・紀は、日本文化の伝道者であった柳作にとって思想上の原点のひとつであった。「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」[角田昭氏蔵] |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|